あれから8年

8年前の今日、3月11日に発生した東日本大震災での地震津波津波による浸水で起きた福島の原発事故によってこの日を境に多くの方々の人生が変わってしまいました。

まず、東日本大震災によってお亡くなりになってしまった方々へのご冥福をお祈りいたします。

また、大震災によりご家族や親類、友人や知人を亡くされた方々への御悔やみを申し上げます。

私が、神奈川から被災地のひとつである岩手県宮古市へ移住してきて早2年が過ぎました。

もちろん2年しか宮古にいないため、あの大災害をかなりの被害が出た宮古で経験したわけではありません。

しかし、子供のころ夏休みを利用し祖父母の家や親戚の家に来たときと2年前移住するため宮古に来たときとの違いと祖父母や親戚たちから聞いた話もありその甚大な被害を目の当たりにしました。

まあ、目の病のため昔のように風景を見ることができないためほとんどは話に聞いたことですし、2年前ですから震災直後に比べればかなり復興も進んできたところだったのでしょうね!

私の身の回りの東日本大震災による被害は、祖父母をはじめ親戚の中でも津波により家が流されたりの被害はあったものの命を失った方はほぼいなかったようです。

なぜ、ほぼというと普段から付き合いのある親戚の中ではいなかったという話であり、疎遠や遠い親戚のことはわからないということです。

祖父母や親戚でも年寄りが助かったことには、長年の経験と代々伝えられてきた教訓があるのではないでしょうか?

その教訓の一例をご紹介いたします。

恐らく30年近く前の話、当時子供だった私は夏休みに宮古の親戚宅へ泊まりに来ていました。

とある夜、地震が発生、たぶん感覚では震度3か4くらいでした。

地震が発生したと同時に普段はどちらかというとのんびりしたおばあちゃんが目に求まらぬ早さで逃げ道確保、すごいところは早さだけでなく普通逃げ道確保としたら玄関ですよね?

しかし、おばあちゃんは玄関のみでなく海とは反対側にある窓を真っ先にあけたのです。

岩手県沿岸で育った私の両親ですら過去二度の津波を経験しているそうで、私の両親の親に相当する親戚のおばあちゃんは更なる経験と両親が子供だったであろうときも大人としての対処を経験し、命を守る行動をとれたのではないだろうか?と思っております。

ちなみに

当時は逃げ道確保しただけで避難するようなことにはなりませんでしたが、東日本大震災ではあまりの津波の破壊力によりその親戚宅を含め近くにあった祖父母宅も流されてしまいました。

このようにたくさんの方々が被災され、復興を目指し歩んできた8年、原発周辺の状況は別の問題として特に岩手と宮城、福島の沿岸部の復興もかなりすすんできたのではないでしょうか?

今月には、ずっと止まっていた宮古と釜石の間の電車も8年ぶりに開通するみたいですし、いわゆる道路やインフラはかなり復興できたのかな?と思います。

なにせ、子供だったころの宮古しかわからないので震災前の状況もどうだったのかわかりません。

そのため、今宮古で暮らしていての感想ですが、先ほどもいいましたが交通やインフラはかなり復興できたと思いますが、あとは産業や活気ではないでしょうか?

あと、波を被ったたくさんの土地をどうするのかが気になりますね!